押し寿司

姪を娘のように育てる生活がもうすぐ終わる。
もうすぐ実の父親と暮らすことになる彼女は今日、僕の妻と一緒に親子料理教室に参加してきた。

習ってきた料理を楽しそうに話す彼女に、それを僕でも食べられるようにつくって、と頼んでみた。
習ってきた押し寿司のレシピを見せてもらうと、鮭フレークと寿司酢と卵が目についた。
子供に教える料理教室で、酢飯の作り方を、「寿司酢を回しかけ底から返すようにさっくり混ぜ」と教えるのはどうなんだろう、と少し考えた。砂糖と塩と酢でつくる方法を教えたいところ。



ケーキの型にラップを敷いて、酢飯、アボカド、酢飯とサンドしていた。
(酢飯は妻が、米と一緒に昆布と白くない砂糖と酢を混ぜて炊いた。)
卵の代用に京都風の油揚げを細かく切って炒めて散らしたらしい。



姪の傷ついた心を癒すことと、強く正しい心を育てること、英語や泳ぎや料理や読書や算数、その他いろいろなことを教え体験させるのに少なからず時間を割いてきて、今のところとてもよい子に育っている。
5百円玉よりも大きい円形脱毛3つを彼女に与えたのは実の両親で、マッサージと抱きしめで癒したのは僕と僕の母だった。
今さら父親面をして子供を引き取るという彼に、僕が今持っているこの感情はなんという名前で呼ばれるものだろうか。
彼の慢心と我儘に家族全員が傷つき苦しんだ。諭せば怒り、褒めれば図に乗り、相手が話している時は自分が次に何を話すかしか考えない彼の前に、僕は己の徳の無さを強く実感している。
今彼は「自分は前の自分とは違う、経験し勉強し成長した」と言っているが、同じ言葉はこれまでに何十回も聞いてきた。
wwwと、こんなマイナス感情をもつ兄弟がいることも彼を追い詰めてしまった原因だったのだろう。彼の子供たちを守るのに精一杯で、実の弟である彼を救うことを放棄してきた。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。

他人の過失を見るなかれ。他人のしたことしなかったことを見るな。ただ、自分のしたこととしなかったことだけを見よ。

他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾柄のように吹き散らす。しかし、自分の過失は、隠してしまう。−狡猾な賭博師が不利なサイの目をかくしてしまうように。
他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている。

ダンマパダ(岩波文庫 中村元訳)Dhammapada


今より良い関係を築き、皆が笑い助け合えるように、努力していきたい。仏陀の言葉を胸に。(仏教徒ではない)



菜食で日本の食べ物