イチゴのケーキ

牛乳も卵も入っていない手作りケーキ


夜寝る前にオーブンで焼いておき、朝飾りつけて子ども達に食べさせたら、起きてきた妻に「朝ごはんはしっかりご飯にしなきゃダメ」って叱られた。
朝ごはんが父の手作りイチゴケーキだった思い出が子ども達にあってもいいではないか、と非日常的なイベントのつもりで考えていたのだけれど、誕生日でも記念日でもない日に何かイベントをするということには共感を得られなかった。
僕は誕生日もその他の記念日も全く祝わないので、その辺の感覚の違いが夫婦間の摩擦になったりもする。「普通」ではないという点で、こちらに非がある。
菜食の実践もそうで、動物を食べないことによる世間一般との摩擦に妻を巻き込んでいるし、家庭内でも摩擦はある。それは単に両者の差としてではなく、変わり者ではないほうの側に「大変ねえ」と同情が集まったりする。
僕の視点では、「誕生日を祝ったり肉を食べたりと奇妙な習慣を持った人との生活に協調している」のだけれど、妻からの視点では、「誕生日も祝ってくれないし肉も魚も牛乳も卵も、それらが少しでも混ざった食べ物を食べない変わり者の夫に合わせてあげている」と、こちらがフラットに考えているのに対して、先方はやや上から目線で捉えているし、僕の菜食については「奥さんが大変ねえ」「奥さん偉いわねえ」という感想を得られることが多い。

個人と個人の関り、例えば「5」さんと「10」さんの二人の関係では中間が7か8くらいで、そのくらいのところに二人の中間点を置いたりするのだけれど、「普通」とか「一般的に」という基準を導入すると、5くらいが普通なのだから、10は変わり者で、7や8まにまで妥協しているのが偉いことになる。

これを書いている今は朝4時半。仕事が片付かず職場に泊り込んでしまった。ウニウニした脳で読み返す気もおきない屁理屈を書いてしまったが、結論としては、変わり者の夫に合わせて支えてくれる妻に感謝しているし、それに報いたいと思っている。
朝はご飯をしっかり食べるのが子供には本当に大事なんだというしっかりした考えを持ち、夫に意見できる点も評価したい。


昨夜は姪の誕生日だった。彼女は誕生日はめでたい日だと教えられて育ち、そう信じている。
誕生日がおめでたい特別な日なのだったら、その日にするべきは、「動物の死体」や「牛から奪った母乳」を必要以上に腹いっぱい食べたりすることではない、と僕は思う。産まれたことを祝う日にこそ、死体を食べない日にしよう、と考えれば良いのに。
ケーキとプレゼントとごちそうとおめでとうの言葉と笑顔が、親が子どもに与えるべき全てではないと思う。
誕生日が嬉しいという彼女の気持ちを尊重して僕は、朝6時(今から1時間半後くらい)から町内のゴミ拾いを一緒にする約束をした。


ケーキリンク http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20061202

菜菜スイーツ

菜菜スイーツ

価格:1,995円(税込、送料別)