煙草のポイ捨て

車の窓から、煙草の吸殻を捨てる人がいる。火がついたまま。

赤信号で停車中に、斜め前の車の窓から吸殻が落とされた。
車から降りてその吸殻を拾い、
「拾っておきますよ」
と声をかけて回収した。
「あ、すいません」と言っていた。
次からはポイ捨てをやめるだろうか?
火のついたまま窓から捨てるくらいに民度の低い人がこれくらいのことで学ぶなんてことはないかもしれないが、多少の影響はあったかもしれない。

数ヶ月前前の車の人が捨てた時には、
「落ちましたよ」と、吸殻を拾って渡してあげたのだけれど、
次回からは拾っておきますよ、で統一しよう。


子ども5人と近所のゴミ拾いをしている時に、我々の目の前で吸殻をすてたおじさんもいたなあ。
意地悪でわざと捨てたのではなく、ゴミ拾いという彼の日常からは想像できない子ども達の行為と、自分がゴミを捨てているという事実の歯車が彼の頭の中では噛みあわなかったのだと思う。
家の中は禁煙にされて、吸うなら外でと奥さんから追い出されたのであろうその人に対して僕が抱いた感情は哀れみだった。
何も話しかけず、ただその人の目を見ながら吸殻を拾って子どものゴミ袋に入れたことは、あの外吸いおやじの目にはどう映っただろう。




1月か2月頃、生活道路上に人のようなものが倒れているのが遠くに見えた。
もし人であれば、雪の上で凍傷や凍死もあり得る。
進行方向とは逆だったけれどそちらに向かってみた。
近づく間に通行人が声をかけていたので、ああよかった、と思った。
でも、その声をかけた人たちは、何もせずに立ち去った。
じいさんが倒れていた。
始めは反応が無く救急車を呼ぶことを考えたが、けっきょくは酔っ払いであることがわかった。
その間も何人かが通り過ぎたが、皆こちらを見るだけで何もしない。
車は何台も通って、ゆっくり観察はしているようだったけれど、でも誰も降りてこなかった。
家が近いらしいこと、肩を貸せばなんとか歩けるとわかり、家まで送ることにした。
近所のおばさんが出てきて、「その人はxxさんちの人だと思うわ、家はそこの市営住宅だわ」と教えてくれた。
当然一緒にいってくれるのかと思ったが、呼び止める間もないほどあっという間に、走っていなくなってしまった。
結局は1人でその人を家まで連れて行った。

「(一人ひとりの)知り合いの日本人はみんな親切、でも、(集団としての知らない)日本人は親切じゃない」、といっていた外国人友人の言葉を思い出した。

渋滞でノロノロ進む道路上で、子どもも乗せた一台の車が動かずにいたのを押したときも、他の車からは誰も助けにこなかったし、僕の前にもたぶん百台を越す車がその車をわざわざ避けて進んでいった。


冬と春に家の前の道路でタイヤが雪に埋まって進めない車を助ける(日当たりと除雪車の関係でぬかるみやすい)のに、家からスコップを持って出てくるのはいつも僕を含めて4人だけでまるで固定メンバー、他の人が出てきたのはみたことがない。


僕の前にソレを見て、でも素通りしていた人びと、急いでいるとか、それぞれに事情はあったことだろうけれど、でも、もう少し声をかけるなりする人が多くてもいいのではないか、と思う。
すべてのことに目が届いて、全てに手助けできるわけではないことは知っている。
ただ、遠くではなくて今目の前にあるそれ、について、見てみぬ振りの前に、手を出す一息をもてない人が多いのではないだろうか、とそう考える。