ちょっとまて、そのダシほんとに要るのかい
子供の頃、僕の母の料理は実においしくなかった(今はおいしい)。まだ小さかった頃は、おいしくない、ということには気付いていなかった。
ただ、よその家に行くといつも必ずごはんがおいしい、とだけ思っていた。
父がたまに、母の出した料理をフライパンで炒めなおして味も付け直したりしてくれて、それがとても嬉しかった。
小学校4年生くらいの授業でほうれん草炒めを習い、自分でつくったそれがとてもおいしく、それが料理を好きになるきっかけだった。
料理好きになり、腕も少しずつ上がっていくうちに、母の料理のどこがまずいかがだんだんわかってきた。
「母さん、これ味見した?」 ⇒ 「なんでさ?」 ⇒ 「おいしくないよ」 ⇒ 「そんなことないよ、せっかくつくったのになんてこというのさ、どれ、・・・・・あ、ほんとだ」 ⇒ 「味見した?」 ⇒ 「・・・、してない、・・・」
といった会話を、何回繰り返しただろう。ホットケーキは95%の確率で焦げていた。焦げていない母のホットケーキを思い出すことはとても難しい。麺はいつも伸びていた。茹でたり焼いたりしている間に、そのことを忘れてしまうからだ。
「まあそういうな、網本の家だから魚料理だけはうまいんだ。」、と父はいつも言っていた。でも、魚もだいたいいつも焦げていた。いつも強火で焼くからだ。
母のおいしくない料理を手直ししておいしく直すことの繰り返しが、今の僕の料理好きの原点だったと思う。
味噌汁もおいしくなかった。
「母さんこの味噌汁おいしくない。ダシはとった?」 ⇒ 「・・・いや、とってない・・・」
とう会話も何十回も繰り返していた。
そして僕は、ダシって本当に大切なんだなあ、と心に刻んだ。
ダシは大事、ダシは大事、とずっと疑いを持たずに過ごしてきた。
疑問を持ち始めたのは最近のこと。
ネットでいろいろなレシピを見ることが出来るのだが、材料に「ダシノモト」を書いている人がけっこう目立つ。
ダシノモトって、やっぱりあのスーパーで売っている、アミノ酸たっぷり入りでアミノ酸味の、市販のできあい食品にはたいてい混ぜこめられているアレだろうか?、きっとそうだ。
その前後のレシピを読んでみると、なんでここまで調理してここでダシノモト?、と思ってしまう。
そんな時に出会ったのが、下記ふたつの日記。
江都屋黄金丸さんの日記 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=153002512&owner_id=4913742
orangiallo? http://orangiallo.seesaa.net/article/32750916.html
そうか、人々はダシ信仰に憑依されているのだ、と思った。
僕もダシ教の信者だ!、と気付いた。
ダシノモトはほとんど使わないけれど、昆布だしと椎茸だしを多用している。
そんなわけで、写真のコーンスープはダシなし。
昆布ダシも椎茸ダシも、ベジ用コンソメも使っていない。(これまでは使っていた)
- 熱くする前の鍋にオリーブオイルと、潰しニンニクと、種を除いたホールのカイエンペッパー
- 弱火でじっくり香りをだす
- 玉ネギみじん切りとローリエの葉
- コーンクリーム缶(無加糖)
- コーンと同量かそれより少ない豆乳
- 塩と白胡椒
とてもおいしいコーンスープができた。
「ダシ」という名前のものは使わなくても、1,2,3の過程でしっかりと味が出ておいしい。
もっとシンプルにつくるなら、いきなりコーンと豆乳を温めて塩と胡椒なのだけれど、ダシ信仰にまだ片足が浸かっている身では今回くらいので満足。
今回の写真は、ごはん、ソイーズとキャベツのサラダ、野菜の香草オーブン焼き、花巻
遊びに来ていた菜食慣れしていない子供も喜んで食べてくれた。
「花巻の一部は最後に残して、皿を拭いながら食べるときれいになるんだよ、洗って流れて海に行く水もきれいだよ。」、と教えてあげた。
あれ? 読み返してみると、僕は前回のコーンスープも同じにつくっている。
http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20070117
その前までは、いろいろ混ぜていました。