ベーグル
はじめてつくったベーグル。
ベーグルって強力粉だったんだ、ベーグルって茹でるんだ、ベーグルって家でもつくることが出来るんだ、と新しい発見。
レシピに忠実につくったつもりだけれど、できあがりにはやや不満。失敗ではないのだけれど、オイシー!と嬉しくなるより前に、あれこれと改良点が浮かんだ。
次回が楽しみだ。
乾いたベーグルは蒸してから食べる ⇒ http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20070209
今回のベーグルは、「アジアンブレッド」のレシピ。いろいろな国の小麦料理レシピが写真入で紹介されていて嬉しい。
- 「アジアンブレッド―素朴な粉のおいしさを味わう」中野順子
- http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766209443/vegetarianisa-22/ref=nosim
おまけ
「植物だって生きているんだから菜食主義なんておかしい、肉だって感謝して食べればいいんだ」と思う方へ。
あなたが人肉食主義者に会ったときに、「豚や牛だって生きているんだから人間を食べないのはおかしい、人間の肉だって感謝して食べればいいんだ」と言われたらなんと答えるのでしょうか?
或は、「猫肉を食べない」「犬肉を食べない」人に向かって、「犬猫も生きているんだから、牛や豚と同じように感謝して食えばいいんだ」と思うのでしょうか?
各人に線引きがあります。その線の位置が少し違うのです。
植物だって生きています。でも、血を流したり叫んだり泣いたりしない。
生きている牛を殺すのと、生きている大根を殺すのとを、あなたは本当に同じことだと感じているのでしょうか?
肉食する方々にこの考えを強要はしません。
しかし、「肉食が普通」「菜食は異常」という概念が正常だと信じて疑わない方には、菜食者の思想も少し知っていただければいいな。
追記:人間が食べるための肉を生産するのに、得られる肉よりもずっと多くの植物を消費します。それはつまり、餌のことです。人が行きていくために消費するカロリー総量、命の総数、どちらから考えても、肉食・雑食よりは菜食の方が少なく済むと、多くの菜食者は考えています。
「肉だって感謝して食べればいい」と、僕の母がよく言います。もちろん植物を食べる時にも感謝を忘れません。そして、できれば、大食いではなく少食でいたいとも思っています(実践できていない)。
より命に対して誠実であろうとするとき、「感謝すればいい」という言葉は、理屈ではなく詭弁に聞こえます。真に感謝するのであれば、その前に初めから食べないことにしよう、と思うのです。
とても幸せなことに僕は、肉を食べなければ生きていけない、という環境にいません。多くの日本人も同じだと思います。肉は食べなければいけないものではなくて、選択して食べるものです。
菜食者は、肉を食べるという選択肢を選ばなかった人たちです。
「oregonian way of life.」 食志向のパラダイム・シフト
http://blog.goo.ne.jp/shinnosuke_march/e/bdc1ecc6c13fe2f2fa42f57387c8bd6b