ひと昔前の日本人はラクトオボベジタリアンだったのかもしれない

終戦を小5で迎えたという人と話していて、飼い犬の話題になった。その人の家の犬は外で飼われていて、「近頃はさっぱり見かけなくなった、犬らしい犬ですね」、という話から、さらに犬についての思い出とその頃の話をきかせてくれた。


ざっと以下のようなかんじ


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道南の海と山のある町に住んでいた。
家の裏に小屋を作って家族にも隠れて何回も犬を飼ったが、だいたい2〜3ヶ月でみつかった。1年か1年半で母親が、3里先に住むおじさんの家に持っていった。
当時は好きな人は犬を食べたが、多くはなかった。一般的には食べないが、若い衆の半分くらいは犬肉、他人の飼っている放し飼いの犬を捕まえてつぶして食べていた。食糧難の時代のせいもあった。赤犬はうまく体が温まる。俺は犬が好きだったから食べなかった。

昭和19年頃には犬にも、人間と同じような赤紙が来た。軍用犬にならない犬は毛皮などにされた。
犬肉を食べる人はいたが、田舎で馬肉を食べる人はいなかった。馬は人のために働いたから。
牛は食べた。馬は人間と一緒に汗を流して働いたので、自分よりも馬の心配をするほどだったし、高価だった。
「バクロウ」は馬を食べていた。バクロウはトナイコ(1歳以下の子馬)を売買してほとんどを内地へ流した。いい馬はほとんど軍に入ったが、軍でいらない馬、特に牡馬は働いて肉が固いので地方の肉屋に売られた。馬肉はサクラと呼んでいた。

肉を食べる、というと母の顔色が変わった。四国の農家の出で、肉はまず食べない人だった。父もまた、肉を食べない人だった。
母は明治36年生れで父は11年早い。戦後はつきあいでは肉も食べるようになったけれど、喜んでは食べなかった。
2月の固雪で兎を捕まえて食べたが両親は決して食べず、家で肉を捌くことさえ許してはくれなかった。山兎はうまい。昔の焼き戻しの針金で兎の通り道に罠を仕掛けると、簡単に捕れた。山で兎の皮はジャキジャキ切り捨てて肉だけ持ち帰って食べた。皮を売ろうとかは考えなかった。

両親は魚は食べていた。牛乳も飲み、卵も食べていた。子供としては肉を食べたかったけれど、「命を潰して食べるのはとんでもない」と常に言い聞かされ、それもそうだなと思っていた。
殺して金にすることにも抵抗があったのだと思う。子供が魚を釣ってきて食べずに捨てたらとても怒っていたし、売ることも嫌がった。

その地域では。両親と同じくらいの年代の人は、みんな同じ(肉食べない)だったので、社会生活の苦はなかった。
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この他にもちらほらと聞く話で、今ではない四国の人の中には肉を食べない人がやや多いのではという印象を受けた。