「バカと英語は使いよう?」を読んで思い出したこと

しんのすけさんのブログ「oregonian way of life」の「バカと英語は使いよう? 」 http://blog.goo.ne.jp/shinnosuke_march/e/53ececad809f604ae6c91c0fbce9f2f5 を読んで思い出したこと。




ホームステイの受け入れを趣味でやってます。アジアの人とも英語で会話するなんて奇妙なことだと常々感じていますが、でもやっぱり英語は便利です。数カ国の人が集まって使うのもやっぱり英語。


旅行中には言葉に関するおもしろい体験をいくつかしました。

中国の外国人はそう多くは訪れないであろう街のホテルのフロントで鍵を受け取る際に、従業員に助けを求められました。韓国人旅行者と言葉が通じなくて困っているというのです。僕は韓国語を話せないけれど、中国人にしたら、日本も韓国も同じなのでしょう。
その韓国人は英語も日本語も話せません。カタコトの中国語を使って一所懸命に、「宿泊したい、こんな部屋がいい、料金はいくらですか?まず部屋を見たい」とかいったようなことを伝えようとしていた。ところが、中国人にはそのカタコトの中国語が理解できない。
中国語は同じ読みでも発音(音階)で意味が大きくかわって、しかもその音階が4種類もあるので、カタコトでしゃべられても混乱するらしい。日本人でも「ハシーガアーメデベーチャベチャークモツイタ」と言われても「箸が飴でベトベトして蜘蛛がくっついた」と理解するのが難しいような理解でいいかな。
僕のカタコト中国語は、その韓国人よりは幾分かマシなレベルで、でもカタコト同士・旅人同士ということもあり、言いたいことは理解できた。
それをホテルの人に伝えるにも、英語はあまり通じないので、中国語と英語とあとは筆談での臨時翻訳者作業。
部屋は隣になって、彼女とは何時間もかけて会話したんだけれど、日本人と韓国人がカタコトの中国語では、日本人同士が10分で話し終わるようなことしか話せなかった。


敦煌の旅行代理店のようなところで、日本語堪能な中国人に頼まれて、英語しか話せないイギリス人旅行者のために、中国人・日本語 → 日本語・日本人・英語 → 英語・イギリス人というやりとりをしたこともあった。

中国国境に近いラオスの村では英語があまり得意でない西欧人に中国語で話しかけられたりもした。白い肌高い鼻の人と中国語で話す、というのは奇妙な感覚だった。



日本では、タイ人と韓国人が同じ時期に滞在した時も、中国人とインド人を同時に招いた時も、シンガポール人をバングラデシュ人に紹介したときも共通語は常に、そして当たり前に英語だった。


つい先日、インド人の友人が別のインド人をうちに連れてきて僕に紹介してくれた。彼と彼女は二人で僕を挟まずに会話する時も英語で話す。彼はマラヤラムが母語で、彼女はタミルが母語なので、英語で話すほうが簡単なのだと教えてくれた。そういえば彼が他の北インド人からヒンドゥーで話かけられた時に苦戦していたのを今思い出した。同じインド内であっても共通語は英語というのは本当のこと。

マレイシア人にネパール人を紹介した時に双方とも流暢な日本語で会話していたのもちょっとおもしろかった。たまに難しい日本語の時に英語に頼り、3人とも英語と日本語の混ぜて自然に会話した。
その中国系マレイシア人がマレイシア語をほとんど話せない、というのもおもしろい。やたらとマレイシア語を使いたがる僕は彼にとってとても奇妙な存在だったろう。



英語に頼るのはあまり好きでないけれど、でも、共通語としての英語は本当に便利*1

*1:母が昔エスペラントを勉強していたらしいが、全く役に立たなかったみたいだし。