インドのベジタリアン農家に宿泊

インド旅行の7日目


インドの農村に泊まった朝、日の出前の6時に起きて散歩してみた。

知らない土地を人気のない時間にフラフラ歩くのは慣れているけれど、今回は娘連れなので少し心配(銃を向けられたり、水に毒を盛られた経験があるので)があった。歩き始めると泊まった家の飼い犬5匹がぞろぞろと付いてきてくれた。安心。
デカン高原の朝焼けを楽しんだ。


カラスと猫を足して2で割ったものをカモメと掛け合わせたような声が聞こえていたけれど、暗くて姿は見えなかった。

明るくなってくると、野生の孔雀の姿が見えた。「孔雀はインドの国鳥だが、おみやげなどに売るために密猟者がいるんだ。この村は孔雀を大切にしていて村名も孔雀の意味なんだ」と友人が教えてくれていた。
孔雀に近寄ろうとしても先に犬が走って追いかけていくため、孔雀は飛んで逃げる。


日本人2人がいない!、と少し心配されていたらしい。

お母さんが牛の糞を集めていた。乾かして燃料にする。糞は臭くない。
想像するに、穀物を食べさせられている日本の牛の糞は臭く、草を食べているインドの牛の糞は臭くないのではないだろうか。


野生の孔雀を遠くから眺めて感動して帰ってきたのだけれど、この家では孔雀を餌づけしていた。手から餌を食べるくらいに慣れている。


朝の紅茶

この家のお父さんが、真面目な顔で(ヒンディー語で)聞いてきた。それを友人が英語に訳してくれた。
「私はピュアベジタリアンなんだ。神様もxxx(不明)。もちろん肉は食べないし、魚も食べない。でも牛乳は飲むよ。牛乳を飲むことでは、動物を殺したりしていないんだ。君はどうして牛乳を避けるんだい?」
これに、たどたどしい英語で、「日本では、牛を家族のように扱うこの村と違って、牛はまるで工業製品のように扱われています。農場はまるで工場です。生まれた赤ちゃんはお母さん牛の乳を飲むことができません。雄牛は肉にされます。無理に妊娠させられた後に3回くらい子供を産んで乳を出さなくなった雌牛はすぐに食用にされます。幸せに寿命を迎える乳牛はいません。」といったことを伝えた(つもり)。
英語からヒンディーに翻訳される時にずいぶん短くなった気はしたけれど、お父さんは顔をしかめることで「それは酷いことだ」と思ったことを僕に伝え、そして優しく肩を叩いてくれた。
皆の紅茶は絞りたて新鮮ミルク入りのチャイで、僕のはブラックティー
ここの牛の牛乳なら飲んでもいいよな、と思った。・・・けれど飲まなかった。

朝食前のおやつには、新鮮なシファーダル。採れたて。


朝食

「トゥハ」という食べ物で、ここマハーラシュトラ州ではティピカルな食べ物なんだ、と教えてくれた。
帰国して調べたけれど、thuhaでもtuhaでも、それらしいものが見つからない。
「ポハ」(pohe)が正しいのかもしれない。
少しモサモサした食感なのだけれど、病みつきになりそうな味。ピーナッツとライムが良く合う。
さらにネットで検索してみると、http://www.youtube.com/watch?v=49G_noVQ_9Qの動画がみつかった。Maharashtraでとてもポピュラーだ、と言っているし、調理法もきっと同じだ。


タマリンドの木の下に簡易ベッドを置いてくれた。まだ青く、青梅のような酸っぱさのタマリンドを木からとって齧りながら、昼寝したり、のんびり話をしたり。

小さな頃から梅肉エキスを舐めさせて育てた娘は、おいしいおいしいとたくさん齧っていた。


昼食

どの料理もおいしい。チャパティさえ自前の小麦を家の石臼で挽いた小麦で、牛の糞やら小枝やらを使うカマドで焼かれたもの。チャパティパン(チャパティを焼くための平らな円のフライパン)で焼いたものと、それをさらに中遠火でうっすらと黒く色のついたものがあった。
これと同じ味のものはもう一生食べられないだろうな、と思いながら味が舌と心に沁みるようにと食べた。


インドでは、食後にフェンネルの種を小皿に入れてくれる。口に入れると爽やかな味が広がる。僕はフェンネルも大好きで、毎年栽培している

この家でくれたものには、炒った豆と、フェンネルでもクミンでもキャラウェイでもなさそうなもう一種類の種が入っていた。おもしろい。


プネーに戻り、今度はもう一人の友人宅に泊めてもらった。
夜9時半の夕食。

この家の住み込みメイドさんがつくってくれた。おいしい。
食べるもの食べるもの、だいたいみんなおいしい。
初めはカラい物をツラそうに食べていた娘も、おいしいおいしいと食べるようになってきた。出国前に日本でも辛い辛いもの訓練(ツライカライモノクンレン)をしてきた成果がやっとでてきたようだった。