肉食者・雑食者との会食

http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20080629のもくじに項目を増やしてみた。
札幌の菜食できる料理店もぼちぼち更新したい。

ところで、肉食者と呼ばれることに、肉を食べる人は抵抗を感じるだろうか?
普通の人は肉も食べるもので、その中の少数の変な人が肉を食べずに野菜だけ食べるから区別するためにベジタリアンだとか菜食主義者だとかいう言葉が便宜的に使われている。肉を食べないという明確な意思を持った人々のことだ。
そうでない人たちは、特別なことをしている意識は無く、「普通」だから肉を食べているように見える。しかし、そんな人も、「肉を食べないなんて考えられない、できない」と口にする。つまり意識はしていないけれど実は意図的に肉をたくさん食べている。彼らを肉食主義者と呼んでも間違ってはいないだろう。肉を食べる人がほとんどいない社会の中で敢えて肉を食べる人は、きっと肉食主義者と呼ばれるだろうし、自らをそう称するかもしれない。

肉食者同士が一緒に食事するのと比べると、肉食者と菜食者が一緒に食事するのは少し難しい。菜食者の方が圧倒的に少ないので、迷惑だと思われることも多い。逆であれば肉食者の方が迷惑なんだけれど、そんな状況は、インドでもなければめったに起こらないだろう。

肉食者が表面上は意図せずに肉食者であるのに対して、菜食者は、不便を承知で、敢えて菜食者であろうとしている(現代日本では)。何故ならば肉を食べるよりも野菜のみを食べるほうがより良い生き方だと考えているから。

より良い生き方を目指してがんばって続けていると、そうでない人の行動が気になってくることがある。赤信号で停車している横を信号無視の車が走っていけば、きちんと停まっている人はそれを嫌悪するし、ゴミ清掃している横でポイ捨てされれば腹もたつ。
ただ、このふたつの例は社会共通のルールや道徳を守るか守らないか、という二点に明確に分けることができるのだが、菜食は現代社会全体に普遍のルールではなく、今のところ、極一部の人のオウンルールに過ぎない。
奴隷が当たり前の社会で自分も奴隷を使っているのに、隣人が人権と平等を訴えていたら実に迷惑に感じるだろう。グループ全員が携帯電話を持っているのに、一人だけ持っていなかったら、全員が持っているべきと考える人にとっては、とても不便だろう。

不便であるのに、その携帯電話を持っていないい人がさらに、君たちも携帯電話なんかやめなさいよ、と事あるごとに言うとしたら、実に迷惑で、その人はきっと嫌われてしまうことだろう。
肉なんて食うな!、と声高に叫ぶことで嫌われている人が、日本にもけっこういるらしい。

僕も本音の本音の本音を言うと、やはり面倒な菜食を選んだくらいだから、肉食はできれば止めてもらった方がいいと思っている。しかし、本音を言うと嫌われるというのがわかっているので、少数派として謙虚に暮らすことにしている。
謙虚であることを選ぶ僕の同族たちの中には、肉食者との会食では妥協して「肉を食べる」という行為に手を染めてしまう人たちも多いようだ。家ではベジだが外では妥協する、「ゆるベジ」「ぷちベジ」「エセベジ」と自称している人たちで、たぶん世界的な分類では「セミベジタリアン」と呼ばれると思う。

僕も一時期はそのセミベジタリアンだった。でも、いただいたから食べる、つきあいだから食べる、と肉や魚を食べていると、けっこうな回数を重ねてしまうことになったし、あの人と一緒の時は肉を食べたけど、この人と一緒のときは食べないというような不公平?もでてきてしまった。
一切食べない、と決めている今は、セミベジタリアンであった時よりも精神的に楽だと感じているし、食べたり食べなかったりしているよりは、一貫して食べない姿勢の方が、周囲の理解も得られやすいと考えている。

周囲の理解と協力に支えられて菜食を続けることができている僕の現状を、肉食者との共存に悩んでいる菜食同胞たちに紹介する目的で、以下にリンクを貼ることにする。増えていく予定。

モントレエーデルホフ会食 ・
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・修学旅行でベジ(I'm Vegan)http://ameblo.jp/bukochan/entry-10604242374.html ・