余市川 4

http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20090928 のつづき


流れの遅い個所の水底の石には、きれいではないコケが積もっていた。
泳ぐと舞い上がって濁るのが不快だが、鮭も同じことを感じるのではないだろうか。
魚にはそんな感情はないのだろうか。



泳いで冷えたので温かい服に着替え
川で着る服の基本は山と同じで吸湿速乾が便利。
このMARSYASのシャツには「特殊気密起毛撥水加工」「特殊チタンコーティング加工」と書いてあるのだが、この言葉はお飾りでなく本当に温かい。

★MARSYAS(マーシャス)ホットカプセルアンダー・長袖(楽天市場)★


仁木(にき)町から余市に入るあたり、鮎見橋をくぐり水明閣の前あたりに、ウライが設置されている。
秋だけ、鮭を捕るための施設。川の端から端までを人工の柵で塞いで、鮭が溯上できないようにしてある。
一か所だけ通って登れるようにしてあるが、そこには檻が待っている。檻の入り口は三角に狭くなっていて、入るのは簡単だけれど、出るのは難しい。


上の写真は下流から写したもの。
「GPSウォーキング」>「e旅歩き旅 25日目余市町−ワイス温泉」のhttp://www.55walking.com/img/tabi/060912/0912-002.jpgの写真がウライの実態を把握しやすいだろう。
檻の写真は、「Fotolife」>「風景の画像情報」>「f:id:sikihuukei:20051009095739j:image」がやはり、形を把握しやすい。
こうして他人に紹介することを意識した撮影をしなかったということもあるけれど、川の中から写した僕の写真よりも、陸上を歩く人から写した写真のほうが全体を把握できるんだな、ということに少し驚いた。木を見て森を見ず、ということなのかもしれない。
であるならば、逆に、森を見て木を見ない陸上歩行者にはわからないものを、水中・水上観行者である僕は見ているのかもしれない。

上流への出口を求め、檻の中であがくシャケたち。
僕の写真技術ではさっぱり伝わらないが、見ているとせつなくなってくる。

動画はhttp://f.hatena.ne.jp/kawauso999/20090926131453に。


こんなところでは死ねない! 上流に向かうんだ!、という心があるのか、それとも、何も考えず何も感じずにただただ上へ向かうのか、魚に心があるのか、心はないのか、それはわからない。
しかし、鮭が溯上する姿には執念を感じざるを得ない。
最も上流側の、最も流芯側の柵の間に頭を挟んだまま死んでいる者がいた。抜けることを試みてしかし通れず、エラがひっかかって死んだ彼と彼女の無念の表情は・・・・・・・この表情に無念を感じるのは、見る人間の勝手な解釈かもしれないが、しかし、人間であるからには何か感じたいものだとも思う。
「魚がかわいそうだから食べない」、「魚がかわいそうだから食べないというのは幼稚だ」、「感謝して食べればいい」、「感謝すれば殺していいのか」などについてまた書きかけてしまったが、ここではやめておこう。


ウライより下流はやはり急に魚影が濃くなった。「影」ではなく、そのまま姿が見える。


「サケのオスとメスの見分け(札幌市豊平川さけ科学館)」

http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20091006/p1 につづく




 梨木香歩さんも余市川を下った。