牛乳の牛のこと
やっこさんのブログ「弥生、スコットランドはエジンバラ(エディンバラ)発!」
http://scotyakko.exblog.jp/6622576/
まるまる転載します。
他の哺乳類動物同様、雌の牛は、妊娠している間だけミルクを出す。
乳牛は、その短い一生の殆どを妊娠して過す。
牛の平均寿命は20年、牛乳を作り出すための乳牛は、その身体への繰り返す妊娠というストレスから、3から5年で、品質の良い牛乳を出し尽くす。
畜産業としてみれば、その質の良い牛乳を出し尽くした乳牛を屠殺して新しい牛を使う方が経済的である。
屠殺後の雌牛は、ビーフ肉として売られる。
妊娠して生まれた子牛は、出産後すぐに母親の元から離される。
これは、母牛と子牛の間に親子関係が生まれるのを防ぐ為である。
母親牛は、産み落とした子牛を必死に探して牛舎の中で泣き続けることは、良く知られた話である。
その生涯を、妊娠して子供を生んでは取り上げられ、いない子供を探し続けては悲しみ、腹には乳を搾り出すポンプが吸い付いている。
・・・ これが、牛乳を生産する牛の、短い一生なのである。
それでは、毎回、産み落とされては母親を知ることもなく取り上げられた子牛は、どうなるのであろうか?
雌牛であれば、母親と同じく短い生涯を辿ることになり、母親の乳を吸うこともなく、栄養ドリンクを飲んで育つ。
では、雄の子牛は?
雄の子牛は、ビーフ牛としての生涯を歩むこととなるのであるが、元々ビーフ用として生まれる牛と比べて、悲しい道が待っている。
ヴィール(子牛の肉)は、柔らかくて白くて味が良いと重宝される。
乳牛から生まれた雄の子牛は、狭いクレートの中に閉じ込められる。
首にチェーンが巻かれて、身動きが出来ない状態である。
鉄分の欠乏した特別ドリンクを与えられるが、それは、体の筋肉が正常に発達しないようにする為である。
彼らは、1歳の誕生日を迎えることなく、屠殺される ・・・
転載元へのコメントの中で、「生きるために命をいただく」「一番重視しなければいけないのは、食べる食べないではなく、いかなる気持ちを抱くかということではないかなぁ・・・」、という部分が気になった。
多くの非菜食者が使う言葉だ。
生きるために命をいただく。菜食者は、生きるために植物の命をいただく。でも肉・魚・乳は食べない。植物と動物に境界線を敷いている。
そして、生きるためには動物の死体は必要ではないことを知っている。
植物だけを食べていても十分健康に生きていけることを知っていれば、肉・魚・乳は「生きていくため」に食べているのではなく、嗜好品なのだと気づく。
生きるためではなく、うまさを味わうために命をいただいているというふうに考えは向いていかないのだろうか?
「一番重視しなければいけないのは、食べる食べないではなく、いかなる気持ちを抱くかということではないかなぁ・・・」、と似た理屈を聞く機会は実に多い。でも、感謝すれば食べていいという理屈は僕には受け入れられない。
食べなくても済むものを(舌の)快楽のためにわざわざ殺して食べながら、「感謝してます」、というその感覚に疑問を感じる。
もしかすると感謝の底が浅いのかもしれない、と思う。本当に心の底から感謝するのであれば、それを(食べること=殺すこと)避けようとするのでは?
「申し訳ない」と言うならまだわかる気もする。
例)成人後も働かずにパチンコ代を親にせびる人、「重視しなければいけないのはせびるせびらないではなく、いかなる気持ちを抱くかということではないかなぁ」、と言い、小遣いをくれる親に感謝しつつ今日もパチンコに興じる。誰かに注意されても、「小遣いをもらうときにありがとうと言っているからいいんだ」と取り合わない。本当に感謝しているのであれば、パチンコなどやめて働くはず。さらには逆に親に小遣いか又はプレゼントでもあげるのこそが感謝。
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置換え)菜食せずに動物を食べまくる人、「重視しなければいけないのは食べる食べないではなく、いかなる気持ちを抱くかということではないかなぁ」、と言い、殺した動物に感謝しつつ今日も肉料理に舌鼓を打つ。誰かに注意されても、「食べる前にありがとうと言っているからいいんだ」と取り合わない。本当に感謝しているのであれば、殺すのをやめて食べないはず。さらには逆に、虐待されている動物のために何かしてあげるのこそが感謝。
食べなくては生きていけない、と信じて疑えない人が、食べなくても問題ないということを知ったときに、僕が何を言いたいかを解ってくれるのかな。
***Link***
・どうして牛乳を飲まないのですか? ⇒http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20070922
・植物だっていきているから、肉を食べないのは偽善だ!、と菜食者のすることに反感を抱く人 ⇒http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20070729/
・「自己内対話 〜徒然なるままに日々の雑感を〜」>「いただきます雑感」