野菜だって生きているんだから、肉を食べないのはおかしい

「野菜だって生きているんだから、肉を食べないのはおかしい」と、ネット上でよく目にする。


野菜だって生きているのだ。だから肉も魚も食べていいのだ、という主張。


これについては、何度も僕の考えを書いてきた。


野菜=生きている=動物⇒感謝して食べていい、という図式が成り立つのなら、
野菜=生きている=人間⇒感謝して食べていい、とも言えるのではないかと疑問が湧く。

しかし、
「野菜だって生きているんだから、牛だって感謝して食べなさい」と言う人は、
「野菜だって生きているんだから、人間の肉だって感謝すれば食べていい」とは言わない。
「野菜だって生きているんだから、感謝してこの猫も食べなさい」とも言わない。


どうして人間を食べないか?
どうして犬を食べないか?
どうして猫を食べないか?
どうして牛を食べないか? 、人それぞれに理由は違うだろう。


「生きているから食べていいんだ、菜食者は偽善で馬鹿だ」、というのがとても乱暴な理屈であることには気付いて欲しい。



皆が肉料理で僕だけ野菜、という家族の食卓で、子供達に、肉がどうやって食卓に運ばれるかを説明した。
この家に来る前はスーパーのパックに入っていて、スーパーに運ばれる前はたぶんもっと大きな肉の固まりで、その固まりはたぶん動物を殺す工場から運ばれたもので、工場では生きた豚に包丁か何かとがったものを刺してビューッと血を流し、豚はきっと痛くて死にたくなくて泣いて叫んで、仲間達が死ぬのを見ながら自分も苦しみの中で死んでいって、その死んだ豚の体を人間が切って切ってそれを肉と呼んでいるんだよ、と。
こんな話をするとその場にいる大人たちは気を悪くする。
なんで食事中にそんな話をするんだ、と怒る。

なんでって、食べているものがどこでどうやってつくられるのかを教えることに何か不都合でも?

例えば、イモが食卓に着くまでとか、キャベツがどうやって切り刻まれるかを食事中に子供に説明したら彼は怒るだろうか?


肉も野菜も生きているんだから肉を食わずに野菜だけ食うのはおかしい、と主張するその同じ人が同じ日のうちに、食卓の肉ができるまでの説明に激しい嫌悪を表す。


もちろん野菜は生きている。野菜を育てるための肥料に魚カスや鶏糞が使われているかもしれない。


でも菜食者たちは明らかに、植物と動物の死体を区別して考えている。自覚している。

野菜も生きているから肉を食えと言いつつも食卓で肉のできかたを怒る人は、自分の感じている何かに気付いていないのか、または、知りつつも隠しているのだと僕は考えている。



僕が説明したところで、彼の考えは変わらないだろうけどね。父です。





追記:
「自己改善探求史 〜禁欲と鍛錬で快適に生きる〜」にて大いに賛同していただいた。オナ禁300日とは素晴らしい。
http://d.hatena.ne.jp/vegnz/20070308