どうして 人を殺したらいけないの? に思うこと

アンチエイジング通信 by鍼美人 http://haride2.exblog.jp/4974306/
『どうして 人を殺したらいけないの?』『自殺しちゃいけないの?』子供に問われたら何と答えますか?


マクロビ・パパの奮闘記 「死ぬこと 生きること」
http://macrobi.livedoor.biz/archives/50784740.html




牛や豚を殺したくない菜食者ですから、人間を殺したいとも思いません。
どうして思わないのだろうか?
よく自省してみると、とても危ない運転をしている人を見たときなど僕は、「氏ね」と思うことがある。しかし瞬時に思いなおして、『死ななくてもいいから大きな自損事故を起こして多額の損害を被って、しかも保険が効かずに自腹をきって賠償し続けながら反省して二度と危険な運転をしないようになればいい』と一人で訂正する。
つまり、比較的浅い心の底では簡単に「あいつ死ねばいい」と感じているけれど、もっと表面の理性の部分が「死ねばいいなんて思っちゃいけない」と邪魔をしているようだ。
他の人はどうなのだろう?



子供達が日に日に知恵をつけている。「肉」という単語を僕は「動物の死体」と置き換えて会話しているので、「どうして人を殺したらいけないの?」と質問してくる日も遠くないかもしれない。
今は僕以外の周囲の人間からの洗脳によって、「人を殺すのは悪いこと」と、漠然とでも知っていることだろう。


こういうことを疑問に思ってくれることは、親としては喜ばしいことではないかと思う。
ただ「普通」とされることを信じ込むのではなくて、当たり前とされていることでも一度自分の中で分解整理してから再構築できる人間に育って欲しい。
そういう人間に育って欲しいと思っている僕にとっては、上述のふたつのブログにある回答ではちょっと満足できない。彼らの考えを否定はしないのだけれど、僕は自分の子供達にそういう話はしないと思う。
いや、こう考える人もいる、と紹介はするだろう。



「どうして人を殺したらいけないのか?」という問いには「人を殺してはいけない」という前提があって、そこに疑問を感じてしまう。


僕は、どうして「人を殺してはいけない」と多くの人が信じているのか?を子供達に説明しよう。
もちろん説明する前に子供達の意見を聞くし、人を殺していけないのならば何なら殺しても良いのかを考えてもらおう。
人を殺すことが悪いことだとしたら、猫を殺すことが悪いことかも考えてもらおう。猫を殺すことが悪いことだとするならば、豚や牛を殺すことがどういうことなのかも考えてもらおう。


僕は、「人を殺してはいけない」とは思っていませんし、「自殺してはいけない」とも考えていません。
だから、「人を殺してはいけない」と信じ込んでいる人々の「人を殺してはいけない」理屈に若い人達が納得できないのも、もっともだと思うのです。