おもてなしの心
「食事に呼ばれてみると料理に動物の死体が混ざっていた、でも、せっかくの気持ちを無碍にできずに、我慢して食べた・・・」、といった話をネット上でちらほらと目にするし、僕もそうしたことがあった。(今は無い)
- 迎えるほうとしては、客に食べてもらいたくて用意した
- 食べなければ悲しむだろう
- 悲しませてはいけない
- 食べる
こんなことを肉入り料理の前で考え、そして諦めるのだろうか。
でも、もてなしの心ってなんだ?
迎えるほうの自己満足でいいの?
迎えるほうは、客に喜んで欲しいからこそ食べ物を供するはず。
食べさせるのが目的ではない。
客が食べたくない物を無理に食べてもらうことは、客を喜ばせるという本来の目的から外れている。
そう考えると、菜食者である客が我慢して肉を食べる行為は、もてなしてくれている人への裏切りとも考えられる。
表面ではニッコリを装いつつも陰ではがっかりなんて、嘘つきだ。
食べなさい、と言われたら、「ありがとう」⇒「肉を食べない」⇒「これには肉が混ざっている」⇒
「気持ちだけいただく、ありがとう」、と、誠意を込めて説明してはいかがでしょう?
僕の考えでは、断ることが誠意で、我慢して食べることが裏切りです。
つきあいで食べる行為を非難しません。それもまたありかと思います。
ただ、それで自分が悲しい思いをするのならば、こう考えてはいかがでしょうか、vegan生活が楽ですよと、仲間である悩める菜食者達に提案してみました。