室温3度

外に出たら水たまりが凍っていた。
室温3度。


家族が泊まりで出かけているので、一人で暖房を使うのはもったいないと、室内にテントを張って、その中で本を読んだり、PCを触ったり、テレビをみたり、食べたりしている。
テント内は5度か6度くらいあり、3度のテント外(室内)から入ると、暖かく感じる。

他の地域のことはわからないけれど、北海道には、寒いからとストーブをがんがん焚いて、家の中でTシャツで暮らしている人がけっこう多い。
先日聞いた話だと、「炭鉱では労働者に現物支給していて、炭鉱労働者は夏でもがんがん石炭を燃やしていた。家の中にいたら暑くて汗がダラダラ流れるくらいだった。」、ということなので、そんなことも関係しているのかもしれない。

幸せを感じるのと同じで、暑い寒いも、心の基準をどこに置くかということに大きく影響される。
3月に西表島に行ったことがあるが、僕はTシャツだけで快適で海で泳いでもいたのに、地元の人は家の中でストーブを使っていた。
冬山で氷点下10度の中を歩いて、テントや山小屋に入ると、そこが気温0度であってもやはり暖かいと感じる。


日本人に自殺者が多いのは、この心の仕組みが知られていないということも、理由の一片にあるのではないだろうか。
テレビとエアコンと冷蔵庫があって当たり前と信じ込んでいれば、それがある生活がいかに便利かということにも気づかず、ぞれらが無い生活に心が挫けてしまうだろう。
食べるものにも寝る場所にも不自由している人であれば、一杯の暖かい味噌汁にも、一枚の暖かい毛布にも感謝するだろう。


当たり前、と思っていることを少し見つめなおし、その当たり前である理由や比較する対象や基準を考えたときに、従来の当たり前が実は当たり前ではないのだと気づくことが多い。


「肉を食べるのが当たり前。」「肉を食べると元気になる。」「肉を食べないと病気になる。」
肉を食べるという行為を選択する人の中には、自分がそれを選択しているということを知らず、ただ当たり前だから食べているという人がきっと多いだろう。
肉を食べる行為のその影響、食べない場合はどう違うのか、毎日食べないのは難しくても月曜だけならどうなのか、その辺りのことを考えると、「植物も生きているからベジタリアンは肉を食べないのは愚かだ」という主張のおかしさに気づくことができる。


寒い日にも石油を使う量を減らすために暖かい服を着ることと、肉を食べずに植物だけを食べることは、二つの意味で似ている。


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