晩酌の酒菜
約1年半の禁酒期間を満了し、反動からか酒量が禁酒前より増えた。徐々に減らしていきたい。
タケノコ、キュウリ、カイワレダイコン、アボカド、の刺身。わさび醤油で。
肉も魚も食べないでいると、酒のつまみもこれで十分満足できるようになった。満足できる、というとなんだか我慢しているようだが、そんなことはなく、本当に満足。嗜好が変化している。
肉を食べる人からは、肉を食べない人生なんて考えられないとか、肉を食べないなんてかわいそう、とよく言われるけれど、それはつまり肉を食うことにどっぷり浸かってしまって、他を考えられなくなっている状況なのかもしれない。
今の僕には、肉を食べる人生(に戻る)なんて考えられないし、肉を食べなきゃ満足できないなんてかわいそう、とさえ思える。
肉を食べる人の中には、「肉を食べたほうがいい」、とか、「肉を食べないなんて信じられない」、とか言ってくる人が少なからずいる。
菜食者が肉食者に、「野菜をたべたほうがいい」、とか、「肉を食べるなんて信じられない」、とか言うと、激しい攻撃を受けたりする。
肉食者は菜食者が攻撃してくると考え(る人もいる)、菜食者は肉食者が攻撃してくると考え(る人もい)る。
この摩擦がもっと小さくなってくれると、もっと気が楽になる。
「肉を食べるのは当たり前だ」という思想の下では、菜食者は、「我がままで秩序を乱す悪人」にされてしまうかもしれない。
「みんな同じでなければいけない」という暗黙の了解があるから、それから外れる「肉を食べない人」は、みんなに迷惑をかけている人、と捉えられたりする。
少なくとも僕が所属する日本社会ではそういった傾向が強いと言えるだろう。
インドであれば、菜食者は尊敬される傾向があって(あるんだと思うきっと)、世間体を気にして「私は肉も魚も食べません」といいつつ陰ではこっそり食べたりする(たぶん)くらいだから、菜食だから秩序を乱すワガママな人だという謗りを受けることはほとんどないだろう。
アメリカであれば、特に東側の都市部では、個人の選択や異文化の尊重といった点で日本のような閉鎖性はないだろうから、ベジタリアンだから会食で迷惑だ、とされることも少ないだろう。
台湾であれば、人口に占める菜食者(中国語では素食者)が多い(らしい)ので、誰も迷惑には思わないだろう(きっと)。
タイでは仏教が尊重され、日本の生臭坊主と違って僧侶は肉も魚も食べず、尊敬されている。一般人もジェーと呼ばれる期間は肉も魚も食べないように励み努めるらしいので、菜食者がいれば逆に尊敬されるかもしれない。
ここで4カ国あげてみたが、外国がそうだから、と僕が言えば、「ここは日本だ馬鹿」と反論もあるだろう。外国がそうだから日本もそうすべき、とは言わない。
が、多くの日本人が持っている常識感が、実は、地理的にも歴史的にも、限定された「当たり前」でしかないという認識はもう少し持ってもらってもいいかもしれない。