菜食主義と偽善的な差別

例えば 「教育王♪さとりん日記」 にあるように、菜食主義は偽善だ、と、菜食についてよく知らないままに主張する人が多い。
http://plaza.rakuten.co.jp/satorin/diary/200707250000/


今の100を0にするのは無理でも50や30くらいに抑えて生活したいと思うことを偽善と呼ぶならば他のたくさんのこともほとんど全部偽善と呼ぶ事になってしまう。

菜食は偽善です。野菜だって生きていてその野菜を殺しているから。
ゴミ拾い活動は偽善です。すべてのゴミはなくならないし、生活の中で常にゴミを出すから。
募金も偽善です。半端な金を出すくらいなら全財産を出しなさい。
電車で弱者に席を譲るのも偽善です。ちょっとの時間だけ座れたとしても、座ったまま家に着くわけではないからです。
禁煙するのも偽善です。煙草をすわなくたって空中にホコリは舞っていて灰が汚れるのだし、煙草産業の人たちが失業しちゃうから。
リサイクル製品を選んで買うのも偽善です。資源を消費していることにかわりはないから。
勉強をがんばって80点とれても無駄です。100点とれなければ無意味です。
試験で成績に上下をつけるのも偽善です。どのこも同じ生徒ですから、差をつけてはいけません。
省エネを呼びかけるのももちろん偽善です。電力を50W消費しようが300W消費しようが電力を消費しているという事実はかわらないから。電化製品差別をやめよう!


命に単位や価値をあらわす数値がもしあったとして、動物1の命と植物1の命が対等だっとすると、肉1を食べない代わりに野菜1を食べる行為は無意味に見えるのかもしれない。変な仮定だ。
だって包丁を持った自分の目の前に犬とキャベツがいてどちらかを食べようということになったなら、僕ならキャベツを食べる。
犬1頭かキャベツ20個かという選択になったとしてもやはりキャベツを選択する。

菜食は偽善だと主張する人たちは、植物も動物も生きていて感謝すればなんでも赦されるのだから、堂々と躊躇せずに包丁で犬の腹を切り開くことだろう。


雑草抜きなんてどんな気持ちで見ていますか? 猫も雑草も同じ命。雑草虐待なんてとんでもないですね。
もしくは、雑草を抜くのは当たり前のことだから、同じ命の猫だって邪魔ならじゃんじゃん殺せばいいですね。家の敷地に入ってきた猫なんてじゃんじゃん殺してしまえばいい。



ところで人間が食べている主な畜産動物は草食で、その動物を人が食べる大きさにまで成長させるためにたくさんの野菜の命たちが消費されていっています。

食肉1キロを生産するのにどのくらいの穀物が消費されているかを考えた上でさらに、菜食は偽善だと主張するのでしょうか?
つまり、肉を食べる人よりも植物だけを食べる人のほうが、奪う命の総量が少なくて済むのではないだろうか、ということを言っています。


菜食者の調味料