菜食者と虫

kawauso9992006-07-13

一昨年より、僕のフェンネルに黄アゲハの幼虫が住み着いている。イモムシ美しい。
そこのフェンネルは食べないことにした。アゲハ専用。 (大きな写真



店から買ってくる野菜には虫食いの跡がない。虫は毒で殺されていて、その毒は残留して人間の体も蝕む。
野菜の肥料には魚などが使われているかもしれないし、無農薬アイガモ農法だったとしても、その鴨は用済みになったら人間に食われるだろう。
植物だけを食べていても、動物を殺さずには生きてはいない。


こう書くと肉食者の中には、「植物だって生きてるんだから、お前も肉を食うべきだ」という、「青信号で渡るんだから、お前も赤信号でも渡るべきだ」みたいなことを言ってくる人がいる。そういう人は、「どうせキスしたんだから、このまま最後までやらせろ」とか、「どうせ同じ駐車場なんだから、身体障害者用のスペースにとめちゃえ」とか、そんなことを普段からやっているんだろう。



追記
http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20060304で紹介した本によると、インドの思想では下のように、菜食を極めると餓死に至るそうです。

葉食 ⇒ 水食 ⇒ 風食 ⇒ 断食 ⇒ 飢餓 ⇒ 餓死

これの反対向きでは、

肉食者 ← ペスコベジタリアン ← オボラクベジタリアン ← ヴィーガン ← フルータリアン ← 葉食

という流れがあるだろうか。 
ヴィーガンだろうがペスコベジだろうが、飢餓や餓死に至る道の途上にある点では同じです。50歩100歩。
人として生きるからには、常に何かを犠牲にせずにはいられません。これを思い詰めてしまえば、死にでもしなければ答えは出ないのではないかと僕は考えています。だから、魚を食べたっていいのだと思います。肉を食べたっていい。自分が納得できる線がどこにあるかを、あせらずあわてずに探していけばいいでしょう。もし魚を食べることが悪いことであるならば、同じように、人参や大根を食べることも悪いことです。(肉食者が菜食者に向かって、「野菜も生きているんだからあなたも肉を食いなさい」と言うのとは違う。)

僕が菜食しているのは、動物がかわいそうだからではない。
ではどうして菜食しているのか? 思想が凝り固まった現代日本人社会で暮らすのに不利な菜食を何故選んだのか?
今までは説明できませんでした。
今でも説明はできないのだけれど、敢えて言うと、輪、かな。土から草が生え、動物が食い、土に還るという繰り返しの中の一部に僕達はいて、その廻る輪はとても美しいものです。
僕が大切にしたいものはその輪だと思う。だから、今の美しくない畜産に加担しないために肉を食べないのかもしれない。いや違う。 やっぱりわからないや。



06/08/18追記
ブログ「orangiallo?」の「キャベツはおきらいですか」では山椒にアゲハの幼虫。
http://orangiallo.seesaa.net/article/22715257.html

フェンネル(札幌で菜食)http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20060904
かわいい幼虫